モバイルガジェットに関する考察 | Blog | R+R Computer Factory
  • モバイルガジェットに関する考察

    by Megumu Akahori
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    20140425-01iPhoneやAndroidと言ったスマートフォンが普及して非常に便利になった、とは思う。
    正直な話、自分はスマートフォンがないと仕事が回せないというレベルにまで達している。
    スマートフォンの出現が使用者のライフスタイルやワークスタイルに多大な影響を与えたのは間違いなく、誰も疑う余地のないところだろう。

    だが、様々なサービスやアプリを使ってみて言えることは、現状においてスマートフォンは「携帯電話とパソコンの代替品」でしかない、と言うことだ。
    言い換えるなら、スマートフォンとは単にコンパクトで携帯性の高いパソコンに過ぎない。
    と言うのも、現存するスマートフォンアプリやサービスのほぼ全てが、パソコンもしくは携帯電話(もしくはその両方の複合)でも成立するのだ。
    確かにパソコンで使うには不便だったアプリやサービスの利便性を圧倒的に高めて、爆発的に普及させたというスマートフォンの功績は非常に大きい。
    しかしこれは、その昔レコードをカセットテープに録音していたものがCDからiPodに変わった時、利便性という点においては変化があっても、行為そのものの本質は変化しなかったという状況に似ている。
    手作業で伝票をまとめていたものがパソコンの出現でシステム化され自動化されたように、物や作業の価値観を変えてしまう、というところまでは至らなかったわけだ。

    結局、スマートフォンが出現しても何かの本質は変化させられなかった。
    要するに、スマートフォンの出現とは「進歩しても進化に届かず、改革まで至らなかった改善」に過ぎないのだ。

    今のスマートフォンとは多機能にして高性能、何でもできる優等生には違いないが、浅く広くの器用貧乏、いわば機能を詰め込みすぎた十徳ナイフのような存在というのが正解だろう。
    全教科90点をとるような「秀才」ではあるが、出題者も予想しなかったような解法を導きだすような「天才」にはなり得ない。

    とは言いつつも、そもそもスマートフォン自体が、パソコンと携帯電話双方の弱点を補った「秀才」として世に送り出された以上、「天才」的な解法を導き出すのは(アプリ・サービス開発者を含めた)使用者側であるのも間違いない。
    スマートフォンが所詮「ツール」である以上、そのツールの使い方は使用者側が広げるのは当然の話だ。
    良い例ではないが、岩を砕くために作られたダイナマイトが戦争に応用されたように、ツールはその使用者の発想力によって活躍のフィールドを大きく変化させることができる。
    スマートフォンがモバイルガジェットとして成熟するために求められているのはこの「フィールドの変化」に他ならない。
    スマートフォンでなければ成立しないサービスやアプリ(スマートフォン専用アプリとか、そういうくだらない話ではなく)が登場しない限り、いつまでたっても「パソコンの代替品」としての存在意義は変わらず、モバイルガジェットのフィールドもいつまでたっても成熟することがない。
    いずれスマートフォンを駆逐するモバイルガジェットが登場するだろうが、その時にモバイルガジェットのフィールドが成熟していなければ、再び「スマートフォンの代替品」になるだけだ。

    「必要は発明の父」という言葉もあるが、使用者側から価値観を変化させるだけの発明が生まれないというのは、もしかしたら現在のモバイルガジェットの世界には不満が残っていないのかもしれない。
    言い換えるなら既にモバイルガジェットのフィールドは全てカバーされてしまっていて、これから出てくるガジェットは「余分なもの」なのかもしれない。
    もしそうだとするなら、これから出てくるウェアラブルガジェットなども「進化の余地がない余分なもの」に過ぎない、ということになるが、自分にはそうは思えないし思いたくない。
    まだまだモバイルガジェットには誰も予想しなかったような使い方が残されているはずだ、ツールに問題があるのではなく、使用者側がそのフィールドを広げてあげられないだけだと信じたい。
    そう信じなければ、モバイルガジェット以外のフィールドも同じ理由で収縮していき、結果(極端な話ではあるが)人間の文明進化が頭打ちしてしまう。

    更に、モバイルガジェットが活躍のフィールドを広げられない最大の理由としては、使用者が「現状の機能だけで満足している」か「所有することで満足してしまっている」ことだと推測できる。
    逆に言えば、使用者が「不満を感じられるほどモバイルガジェットを使って(理解して)いない」ということだろう。
    要するに「使い込みが足りない」か「まともに使えていない」かのどちらかということだ。
    詳細に補足するならば、「ITに詳しくない使用者はスマートフォンを持つだけで満足してしまい、使おうと思ってもスマートフォンという多機能ツールに振り回されてまともに使えていない」ということだろうし、「ITに詳しい使用者は頭が固くなっている(こなれてしまっている)のでスマートフォンはこういうものだという固定観念にとらわれていて新しい使い方を思いつくような使い方をしないし、使い込んでもいない」ということになるだろう。

    そう考えると、このままではスマートフォンは新しいフィールドを開拓できないまま終わってしまうような予感がする。
    ゲーム業界が若い世代を企画や開発に引き込んでいるように、物怖じせず予想外の使い方をしていくような子供こそがスマートフォンの新たな使い方を見出すキーマンとなり得るのかもしれないが、スマートフォンを持っていてもゲームばかりやっている子供を見ると、それも夢のまた夢という気がしないでもない。

    昨年の話になるが「スマートデバイス活用」というような冠のついたセミナーを受けたのだが、そこで各社がIT技術者や責任者を集めてファイルストレージやグループウェアの拡張といった、モバイルガジェットでなくてもできるようなありきたりの技術紹介に終始し、さも未来の技術だと言わんばかりにそれを紹介するという悪夢のような光景に直面した。
    正直なところそのセミナーで「ああ、F社やN社、R社ですらこの程度の発想力しかないのか」とガッカリさせられるのと共に、「もうスマートデバイスには未来はないのかもしれない」と諦めムードが漂った。
    自分自身も多くのツールを保有していて、そのほとんどにおいて開発者から提供された通りの使い方しかできていないのだから他を批判する資格はないかもしれないが、かつてウェブサイトでActiveXコントロールが登場した時のような「こんなこともできちゃうのか!」という驚きと興奮をスマートフォンや今後のモバイルガジェットにも期待したい。

    そのためにも、自分自身を含めて、ツールを使う人間がもっと柔軟な発想ができるようにすることが肝要なのだろう。
    もし新たな使い方を思いつかないようなら「ツールをただ持っているだけ」か「ツールに振り回されている」と認識するくらいでないと新しい使い方など思いつかないのかもしれない。

    そう考えてみると中二病というのも「想像力が豊か」という点では侮れないのかしれない…。

    

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